映画JOKERの感想と真面目ぶった話
(※映画ジョーカーのネタバレしつつの感想記事です、もしまだ見てなくてこれから見ようって方は回れ右してください、違う、そっちは左だ、そう、そっちが右だ、気ぃつけて帰れよ)
あなたは、悪党か正義のヒーローどっちになりたいですか?
オッケー、あなたはヒーローになりたいんだね。
じゃあ、あなたは悪党とヒーローどっちに向いてると思う?
ヒーローね…
残念、君はヒーローには向いてない。
悪党として頑張ってね…
なんて言われてあなたは素直に悪党になりますか?
僕はまぁ正直、それで悪党として生きる道を選ばなきゃ死ぬなら悪党を選ぶかもしれない。
ジョーカーはそんなキツい質問が弾丸として入った銃口を突きつけられるような映画だった。
・見てないけど記事は読んでみたい
・ぶっちゃけ見るの怖いからまとめとかを読もうって思ってる
って心優しい方の為にざっくりお話すると
売れないピエロのアーサーは貧困層と富裕層が対立関係になるなど政治不振が続き荒廃が続くゴッサムシティに住む中年男性。
精神と神経の病(緊張すると笑ってしまう奇病)を患っているが、自分の貧しい生活を彩ってくれた憧れであるコメディアンへの夢を諦めきれなかった。
そんな彼があれよあれよといううちに不幸の連続に会い(ピエロの同僚に半分無理やり渡された銃によるトラブル(失職、酔っ払いに絡まれて自己防衛の為の殺人)がほぼ大体の原因)
自分の存在すら不安になる。
そんな中でもアパートの同じ階に住んでいる
シングルマザーといい感じになったり、
体を患っているが自分の母親が居てくれるこが彼の温もりとなっていた。
だがしかし、シングルマザーのいい感じのやり取りも全てアーサーの妄想で、
母親も実の母ではなく、自分は養子で幼い頃に虐待を受けていたことが分かる、突然笑う病気はそもそも生まれながらのものだった等
自身の支えとしていた全てが崩れ去る。
そして、彼は母親に手をかけ、殺人を繰り返し、荒廃したゴッサムシティを象徴するジョーカーとして誕生してしまう…といったような話である。
(もっと大事な描写はいっぱいあるんですがざっくり要点だけ抜き出してます、気になった人はぜひ見に行ったりレンタルして見てね)
アーサー(主人公、売れない芸人、後のジョーカー)
の場合は冒頭の話のヒーローってのがコメディアンだったんだけどまぁ、絶望的なまでにこれが向いてないんですよね。ほんと可愛そうなくらい。
いつだったかどこだったかで芸人さんは常識的でないといけないって話を読んで、内容は
「常識とズレてることをするから面白い。
だからこそ、(正しいことを認識しないと)ズレは認識出来ないから常識的であるべき」
そんで、今作のアーサーの場合は自身も精神と神経の病を患っていて唯一の肉親の母親も精神的にも肉体的にも病んでるってダブルパンチやったから常識とかを学ぶにはスタンダードっていうにはあまりに悲劇的過ぎるバックボーンなんですよね。
で、コメディの勉強に他のコメディアンの笑いも見るけど笑いどころが分からない。
なぜなら、アーサーは常識的というより壊れている側の人間だから。
彼は自分がズレて笑っていることすら気づかない。ただ周りの客が不気味がったり不審がっているだけだった。
(ちなみに、アーサーの笑い声だけが他の観客とズレて響くこのシーンは自身が共感性羞恥を感じるタイプなのでこの映画の中で一番不気味かつ不快に感じたシーンだった。)
なりたいものと自分の乖離ってのがすごく辛いなぁって強く思った。
ただここまで書いてるとめちゃくちゃ陰鬱だなぁ、おいってなるけど見てると僕個人としてはそこまで陰鬱には感じなかった。
個人的に見る前からアーサーがジョーカーになるってのは分かっててある程度割り切れていたってのと劇中のアーサーの言葉を借りるなら
不幸なところが多すぎて「悲劇が喜劇に変わっている」ようにすら感じていた。
もう本当にどん詰まり、ビックリするほどどん詰まり過ぎてもはや笑える。
そして、爽快感すら感じられるシーンがいくつかあった。
それが
銃による「暴力」のシーンだった
本当によくないけどカタルシスすら感じるそんなシーン。
しかも、アーサーが暴力を振るった相手ってのがいやらしい作りで
・エリート会社員だが酔って女の人にダル絡みをし、それをかばおう?としたアーサーに集団で暴力を振るった三人組(銃殺)
・アーサーのことを(精神疾患とはいえ)騙し続けてきた母親(絞殺)
・銃を半ば無理やり渡してきたのにそれでトラブルが起きれば裏切って切り捨ててきた大柄な同僚(刺殺)
・アーサーの憧れだったがアーサーのショーを晒し者のように扱った有名司会者(全国放送の電波の前で銃殺)
など弱者が強者に噛み付いて一矢報いてやったぜ!!!的なカタルシスが得られてしまう相手を殺しまくってることのが多いんですよね。
ここが本当にやらしい。
当然やっちゃいけないことなんだけど、荒廃してるゴッサムではエリート会社員の銃殺なんかは褒め称えられて貧困層のヒーローのようになってしまう。
よくジョーカーの感想で荒れる、
・ジョーカーの気持ちが理解できる
・日本人なら誰でもジョーカーなれる(なりうる)
って文面はぶっちゃけここから来てると思う。
ただ待って欲しいのがそれは暴力を伴った復讐に対して共感を得ているだけであって
アーサーの孤独や承認欲求、悲し過ぎるバックボーンを理解したわけではないということ。
最終的に犯罪者へと身を落とすがそれらの暴力全てをアーサーは一部を除いて楽しんで行ったわけではないということ。
(無理やり、アーサーとジョーカーを書き分けるとすると、殺人を楽しんで行ったり悩んだりしなくなったあたりからのアーサーはジョーカーと書き分けるといいと思う。)
だいたいの人間が過ぎた力を持つとそれに振り回されると思うけどアーサーの場合はそれが銃と大衆の誤った支持という”声”の力だった。
この声の力ってのは本当に怖くって僕にもそれなりに承認欲求の強い人間だから、とても分かる。(事実こんなクソ長い文章を一日に二本も書いてるなんて自分の文章を褒めてくれる人が居たから出来ていることだ。)
アーティストさんとかとなるとそれはより強くなるだろう。
声の力は時に支えにもなるが毒にもなりうる、現実世界でもよくあることだ。
アーサーは映画中で認められないコメディアンであるアーサーとしての生を捨て、ジョーカーとして生きていくことを誓う、そりゃ認められるどころか認識されることすら危うい人間がメイクをして殺人を行ったら(意図的ではないが)フォロワーみたいな奴らまで出てくるんだから承認欲求に人並み以上に飢えたアーサーには危険すぎる力だった。
つまるところ何が言いたいのかって話やけど
日本人なら誰でもジョーカーになりえるってのは的外れって訳でもないけど絶対にそうとは言い切れないこと。
あと間違ったことでも追い風を受けてたらそうなっていいって判断してしまう脆さを僕らはみんな抱えて生きてるんじゃないかってこと。
ですかね。
アーサーは一人でにジョーカーになったわけじゃない、大衆や社会が生み出した悪党でもあるんだよって言いたかったって感じです。
あとバットマンとかヒーロー映画的な目線で見ると特にジョーカーである意味もないっちゃないけど、大衆にキャッチーに訴えかけるにはジョーカーって題材は具合が良過ぎた。
悪魔のベストマッチだ。
それゆえの大ヒットだと僕は思ってる。
そして、この映画に共感する人が多いようにみんなそれぞれに心の傷を抱えてたり、生まれ持った理由だったり、辛い体験とかで歪な形をしている人も居るけどもそれが各々受け入れていけるような、癒されるシステムがあるような社会や余裕が生まれればいいと強く思う。
そうじゃなきゃ、ジョーカーまでは行かずとも悪党は生まれる、そしてそれが支持を受けてしまう。
そんな世界や日本の社会情勢にも絡んでくるような2019年にピッタリの映画だった。
いつか、
「こんな陰鬱な映画がピッタリだった2019年ってマジで病んでんな!!!笑
今となっちゃあ、みんなやりたいように楽しみながら日々を過ごしてるよ!
ある意味こうなっちゃいけないって古い歴史の教科書みたいなもんだな!
俺は退屈すぎて途中寝たけどな!」
みたいな明るい未来が来ますように…
なんて思ったけど最後の一文で馬鹿が過ぎるから多少は考える余地のある、程度のユートピアになればいいって思った 笑
長い上に陰鬱で硬い話をここまで読んで頂きありがとうございました、コメント、反響等励みになってます、ほんまにありがとうございます、ではまた。