the pillowsが好きで仕方なくて惹かれ続ける理由を論文のような真面目くさった文調で解釈してみた。
「Life is desire, not meaning」
〜人生はすべて願望だ。意味じゃない。〜
だが、この言葉はこれで全文じゃない。
後にはこう続く
「バラはバラになろうと望んでいる。
岩は岩になろうと望んでいる。
宇宙にある力が地球を動かし、木を育てる。
君の中にある力と同じだ。
その力を使う勇気と意思を持つのだ。」
この言葉の言い方を引用するならば
the pillowsは「ロックンロールスターになろうとした少年のロックンロールバンド」だ。
常にロックスターであることを体現し続けるさわおさんの情熱と信条の結晶がthe pillowsなのだと思う。
だが、さわおさんはただのロックンロールスターではない、ロックンロール少年のままのロックンロールスターなのだと僕は強く思う。
「あの日のロックンロールの引力は万能で
道無き道を切り拓いていくんだ」
the pillowsの曲の一つ「About A Rock ’n’ Roll Band」でもこう歌っていた。
ロックンロールに魅せられた少年がロックンロールバンドを体現し、多くの人を惹きつけてやまないロックンロールを演奏する。
ロックンロールが生まれてから何度も何度も繰り返されてきた悲劇であり、喜劇だ。
僕やバスターズの皆さんがthe pillowsに惹かれ、恋い焦がれるのはこの悲劇な面のエピソードも喜劇の面のエピソードもたくさん兼ね備えた最高のロックンロールバンドだからだと僕は思う。
(なお、具体的なエピソードは浅学な僕の文章でなく、the pillowsの自伝本、「ハイブリッド・レインボウ」や雑誌、インターネット記事のインタビューで直接、さわおさんが語られているのでそちらを拝見していただきたい。)
少し脱線したが、the pillowsがバスターズを惹きつけてやまないのは
ただ、そのエピソードやバンドの歴史が笑ったり、泣けるからだけじゃなく3つの強い個性を持っているからだと僕は思う。
それは
・「意地、誇りを貫き通すことの難しさ、その不器用さ」
・「人に認められたいという思い」
・「あくなきロックンロールへの愛」
である。
一つ目の「意地、誇りを貫き通すことの難しさ、その不器用さ」に関しては
レーベルに反対されても作りたい楽曲を作ったこと、世間からの評価が思ったように得られなかったことなど、エピソードにこと欠かさない。
スターというよりは一種の職人気質であるとも僕は思う。
その職人気質は多種多様な楽曲、それぞれの上質なクオリティに非常に強く表れている。
二つ目の
「人に認められたいという思い」は
ロックンロールスターに憧れた山中さわお少年が思っていた願望のまま、ロックンロールバンドを結成し、ずっとそれを持ちながら、活動し続けている様を見たり、インタビューなどに多く書かれている。
承認欲求は悪いことのように捉えられがちだが、悪いことじゃなく、むしろ、それを芸術に昇華したり、楽曲、パフォーマンスのクオリティを上げる原動力としてさわおさんはコントロールしているように思う。
だからこそのパワフルさ、エネルギッシュさがあるのだとも僕は思う。
そして、何よりも三つ目に挙げた
「あくなきロックンロールへの愛」
ここに尽きる。
さわおさん、PEEちゃん、シンちゃん、それぞれのロックンロールへの愛がthe pillowsには詰まっている。
サウンド面のリスペクトはさることながら、ロックンロール自体の音楽以外の映画、ファッションなどの文化に対しても吸収したり迎合したりする特性をさわおさんは歌詞の中で多く使っている。
例を挙げるとするならば、映画のストーリーに擬えた歌を作ったり、歌詞の一部に映画の名前を引用したり、ファッションブランドの名前を引用したりといったテクニックである。
歌詞の引用は文化だけでなく、ロックンロールスターの名前やバンド名、曲名を引用する。
愛を込めるのは簡単じゃない、安易な引用と思われると批判の対象になったりすることもあるし、愛が重すぎるとそのモチーフ自体に全てを取っていかれてしまう。
ロックンロール少年なら誰しもが憧れるがとても難しい手法を山中さわおはサラッとやってのけてしまう。
そこにシビれ、憧れてしまうのだ。
また、「在り方」という点でもthe pillowsはロックンロールへの愛が溢れている。
人気絶頂のOasisの前座を「話のネタになるから」という理由だけで断ったり、
レーベルと楽曲の扱い方について対立したり、ロックンロールの反体制的なトゲのある面も持ち合わせている点だ。
ロックンロールバンドならトゲや毒のあるこういったエピソードは持っていると良いとロックンロールファンなら思わずにはいられないだろう。
ここまでクドクドと書いてきたが
纏めて言うならば、the pillowsというバンドはものすごく泥臭くて、人間臭く、愛に溢れてる。
そして、その歴史はマニア心や、青春モノ、王道ストーリーを好む人の心にすごく刺さる
「山中さわおが主人公の物語のロックンロールサクセスストーリー」だからであると僕は思っている。
また、そのストーリーは、ただ輝かしいだけでなく困難、挫折を何度も何度も繰り返す点がバスターズに勇気、諦めない心をくれるのだと思う。
読者の皆様はくだらないことと思うかもしれないが、この挫折を繰り返す事柄を言葉として、記したくて、僕はこの文章において、ひとつ徹底的にこだわった点がある。
それは「ロックンロール」を「ロック」と書かなかったことだ。
ロックだけだと煌びやかで華々しいものだけになってしまうからだ。
「ロックンロール」の「ロール」は
「転がる」ことだ。
「走る」でも「歩く」でも「止まる」でもなく。
そのどれも出来ずに、やらずに、ただただ、泥や傷にまみれながらも進み続けることだ。
華々しくて泥臭い、それが「ロックンロール」
まさに、「the pillows」、「山中さわお」という人間自身の在り方としてこんなにふさわしい言葉はないと僕は思う。
ロックだけじゃ華々しいだけ、綺麗すぎる。
ロールだけじゃ泥臭すぎる。
ロックンロールはどっちもあってこその
ロックンロールで、the pillowsは、さわおさんはそれを人生を賭して体現してる。
そんな、日本屈指の最高のロックンロール少年だからこそ、ロックンロールに騙された、魅せられてしまった他の被害者達も惹きつけてやまないロックンロールバンド、ロックンロールスターなのだと僕は強く思う。
最後に、誰しも分かっているがthe pillowsもさわおさんのストーリーも完結していないのである。
まだまだこれからも続く。
まさに、the pillows結成25周年のスローガン、NEVER ENDING STORY、そのものだ。
これまで以上の困難や華々しい舞台が
the pillowsをバスターズを待ち受けているかもしれない。
だけども
「作者も読者もページめくるだけ」
なのだ。
上記の歌詞のStroll and rollのタイトル通り
the pillowsもバスターズも転がり続けるしかない。
共に転がって、擦りむいた傷を癒してくれる、痛みに寄り添ってくれる。
そんな寄り添いながらも眩しい傷だらけの背中を、逞しくカッコいいストーリーをずっと魅せ続けてくれるから僕は、
「the pillows」というバンドが大好きで仕方なくて心惹かれ続けるのだと強く思う。
これからも、道無き道を踵を鳴らしていく
その姿を追い続けたい。