健康優良不良青年

日々のこと、音楽や映画、漫画なんかの好きなものの話

木のような、ざわめきのような

 

木のような、ざわめきのような


いつまでも一緒にいることは出来ないのは分かっていたし、離れても変わらず、兄弟であり、無二の友人であることに変わりはない。

これまで過ごしてきた時間も決して嘘ではなく輝かしい思い出として、僕や君の中に残り続けるだろう。

ちょうど、子供の頃に僕らが大好きな古いビデオの映画を何度も再生したようにいつだって何度でも思い出せるだろう。

あの映画の最高のタッグめいたものを僕は君に感じているよ。

 

僕の持ってないものを君は持っていて、

ほんの少しは君の持ってないものを僕が持っていたりもした。

 

お互いにこれまで培ってきたものや同じ出来事でも視点が違うんだなと、夜を徹して語った時に何度も何度も感じた。

面倒な時もあったろう、ここで謝りたい。

 

でも、楽しくて仕方なかったんだ、ごめんね。

 

こんなお互いの負担を軽く出来るように努めながらも、笑い合える生活を過ごせるデコボコな奴らがどれだけいるんだろうか、僕はそうそう見たことがない。

だが、面白おかしく楽しみながらも、肩を組んで歩いてきたような日々もおしまいだ。

淋しいけどね。

 

そして、僕らの生活は形を変えれどまだ続く。

素晴らしい日々をありがとう。

これからは各々のもがきつつも新しく騒がしい日々だ。

もし、歳を食ってから一緒に住むことがもう一度あるならそれはそれで面白いし、そうなったらとても嬉しい。

 

ただ、それは今からの新しく騒がしい日々の向こうの遠い未来のお話だ。

 

僕は木のようなそこに在ることで誰かが安心出来て、広く人を受け入れられる大きく力強い人になる、そうあろうとする。

 

君はきっと人々のざわめきの中心にいるような楽しく暖かい人になるだろうし、そうあろうとするだろう。

 

各々違う道にはなるが、決して交わってないわけじゃない。

それに辿れば同じところに必ず辿り着ける。

 

無限の彼方に行こうぜ、兄弟。

 

君はいつまでも僕の相棒だぜ。

僕 VS.リングフィットアドベンチャー 〜正直萎えてるって話〜

 

リングフィットアドベンチャーをめっちゃ賞賛してた僕だが一か月ほどプレイして、ここに来て思ってる事がある。

 

「あれ?あんま最初ほど面白くなくね?」

と…

 

 

 

※この記事にはリングフィットアドベンチャーのネタバレと筆者の愚痴、リングフィットアドベンチャーへの多少のDisが含まれています。

現在、リングフィットアドベンチャーをプレイ中の方のやる気を著しく削ぐことにも繋がりかねない為、お読みの際はご注意ください。

 

というわけで、オーケーですか?

ちょっと空欄空けてから書きますね、オッケー?いける?大丈夫?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、書いていきます。

リングフィットアドベンチャー、なんか最初ほど面白くないよって話。

以降の文は、運動の出来ないデブの愚痴と思ってもらって一向に構わんです。

ちなみにプレイデータを簡単に言うと

プレイ期間はおよそ1か月弱で

実績活動日は15日ほど

ストーリーのレベルは48

ステージは7面まで来てます。

 

もし、既プレイヤーの方がお読みくださり

面白くする方法を知ってるなら教えていただきたい所存です。

最近は音楽かけながらやってるけどこれならフィットボクシングとかのがよかったんじゃね?とか思ってる。

話は横にズレましたがここからスタート

 

 

・ストーリー、シナリオ、同じことの繰り返し

 

 

これに尽きる。

ドラゴってボスキャラが居るんすけど

そいつのいるステージに行くまで

タラタラ取ってつけたような魅力のないキャラのセリフを読んで、こまごま魔物(雑魚敵)を倒してステージ進めてっての繰り返し。

 

そんで、肝心のドラゴ戦で勝ったとて、

ドラゴが主人公に対して偉そうなことを言って次の面に逃げる。

次の面はドラゴに支配されたりドラゴの影響で出た魔物で混乱してる…

 

こんなストーリーを延々と繰り返すので正直ストーリーモードのモチベ維持が萎える。

 

あと、相棒のリングくんがドラゴを救いたい!とか言うてるけどドラゴに対して同情の余地がプレーヤーには全く湧かないので

「偉そうなこと言うくせに逃げんなや、クソトカゲ、その筋肉はハリボテかい」

以外の感情が湧かない。

 

せっかく運動して肉体的に達成感、爽快感を得てるのにコピペの繰り返しのようなストーリー展開で正直萎えるし、どうでもよく感じてきてしまう。

かと言ってストーリーモードをやらないといけない理由が次の理由である。

 

・技(フィットネス)を増やす為にはレベルを上げないといけない

 

ストーリーモード内で敵を倒す爽快感はそれなりにある(ストーリー展開は粗末だが)

だがしかし、ストーリーモードで使える技を増やす為にはレベルをあげたりストーリーを進めなければならない仕様となっている。

しかも、このレベルを上げるのに一番効率的なのは一番最新のステージをやり続けることなのだ。

そうなると、重点的に鍛えたい箇所があってもストーリーの進行上、どうしても火力の高い技や敵の弱点に対応した技に頼りがちになり、ゲームとしても楽しめず、運動としてもあまり効果的でないという本末転倒な結果に今、僕はなっている。

また、運動部分を突き詰め、フィットネスだけを追い求めるならフィットネスモードをやればいいのだがここにも問題がある。

 

・フィットネスモードの判定員がうるさい

・フィットネスモードの運動がストーリーでの経験値に還元されない

 

わりとこの二つも僕の中では大きな問題で

判定員がエセ関西弁を喋りやがるのと、運動の一動作ごとに点数をつけてきやがるってところが気に食わない。

んで、ちょっとリングコンがブレて反応が悪かったりすると

「23点」みたいな低い点数をつけてくる。

テンポよくやれとか言う割にテンポよくやるとリングコンが意図しないズレが起きたりとかして低い点数をつけてきやがるので

愚地独歩よろしく「なんだァ?てめぇ……」となるんすよ。

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そもそも、こっちは点数つけてもらえるほど動きにキレのあったり、動きに自信のある奴ならリングフィットアドベンチャーを購入しないわけですよ、マジで。

おそらく、このゲーム

「運動しねぇとなぁ、痩せねぇとなぁ…

 でも、ジムはそもそも行くのが大変だし色々お金かかるしなぁ…」

みたいな奴が完全にターゲットのはずなんすよ

(偏見です。)

 

そんな怠惰かつ傲慢な奴が

必死こいてヒーこら言いながら運動してるのに

偉そうに一動作ごとに判定入れられて機械側の不感とか意図しない誤動作も含めで低い点数つけられて最後までやり切っても

「ボチボチヤナ」(原文ママ)

とか言われたら野朗オブクラッシャーですよ、そりゃ。

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挙句の果てにそれを為し得たところで、ストーリーモードの経験値にならんしね。

これはまぁ、レベリングしすぎて楽にならないようにって対策なんだろうけど、それでもビタ1ポイントも入らんのはさすがに悲しいよ、それかゴールドとかアイテム的なので還元とかね、そういうのはせめて欲しい。

せっかくゲーム内で運動してるんやから。

体にはきっちり効いてるとかそういう話ではなく、やはり目に見える「レベル」ってのでゲーム的な達成感が欲しいなぁと…

 

てな訳で、フィットネスモードで判定員に向かって技をやってるよりも

ストーリーモードで雑魚魔物を蹂躙してる方がよっぽどストレス発散かつ運動になるんですが

一番最初に書いた通り、ストーリーモードのストーリーが苦痛なので

アレ?面白さどこ?状態という詰んだ状況に…

 

やはりね、面白めのフィットネスゲームとは言え、所詮フィットネスゲームだということと

運動は楽だったり楽しいわけじゃないってのと

健康やダイエットは一日にして成らずってのをね。

重々と教えてくれるゲームですよ…笑

 

こんだけ、愚痴っときながらもまぁ、健康とダイエットの為には続けるか…とは思ってますよ、えぇ。

 

ただまぁ、Switchのフィットネスゲームで爽快感とかをより得ながら運動したいなら

リングフィットアドベンチャーを選ばず、他のフィットボクシングとかを選ぶって手もありかと思います…。

(めっちゃガッキーファンなのでガッキーを裏切るような真似はしたくないけども、リングフィットアドベンチャーに対して正直なことは言わせて欲しい。)

 

ウダウダと書きましたが、めちゃくちゃ面白くはないけど

細々とした気遣いは任天堂やな、と思わせてくれる部分は健在です。

だがしかし、面白さや爽快感はプレイを重ねるごとに目減りしていってしまうのは否定出来ないって感じですかね。

 

ここまで、長々と失礼しました。

面白く感じる方法をご存知だったりクリアされた方がいれば色々と教えてもらえると嬉しいです…。

ではまた。

 

チクやんの話

 

チキンクリスプが好きだ。

デフレも大量消費も素直に万歳とは言えないし嫌いだけど、チキンクリスプを生み出してくれた部分には感謝してる。

ありがとう、デフレ、大量消費、できれば早く終わってくれ。

 

増税のせいで110円になったけどチキンクリスプが素晴らしいことは変わらない。

 

チキンクリスプなんて他人行儀なのはやめよう。

違う呼び方をしたい、そうだ、以降の文章ではチキンクリスプを愛を込めてこう呼ばせていただく。

 

チクやん と

 

竹馬の友のような存在だし、チキンとクリスプから取ってチクやん、チクやんでいこう。

 

チクやんの魅力は110円という己の枠組みの中を最大限に活かしきったそのしたたかな美味さだろう。 

 

ざっくりとしたメインウェポンの揚げ物は親の仇のようにブラックペッパーが効いてる。

ちびっ子には苦手かもしれないが食品添加物醸造用アルコールで麻痺しきった舌にはもうアイラビューベイブってな具合に絶妙な刺激。

 

そして、フ◯ミチキに代表するコンビニレジ横チキンのジュワーっと肉汁溢れる系とは一線を画したシットリと噛み切れつつノットジューシーな、どちらかというとナゲット系なそのボディが最高に好き。

ジューシー系でも、もちろん美味いだろうけどもチクやんはナゲット系じゃないとよくねぇ、チクやんの素朴さはナゲットっぽい感じだからこそ映える。

 

チクやんは愛しいほどに素朴だ。

ナゲット風チキン、レタス、ソース、バンズ

シンプルな四品目でコストを守りながら僕たちの側にいてくれる。

 

そんなチクやんのメインはチキンフライの部分でもありつつ、唯一無二のゴールデンコンビがいる。

それはソースだ。

マヨネーズベースでマスタードや香味が入ってる最高のソース、それがレタス、バンズ、チキンを全て合流させる、ハチ公だ。

チクやんにおけるソースは、バーガー界の待ち合わせ場所、ハチ公像なのだ。

そして、それが全での具材と調和しながら膨らませていく、素晴らしいソースだ。

 

だが、そのソース、皆さんは感じた事がないだろうか?

「少し足りない」と

ソースが大事なのは先述の文章で重々お分かりなはずだ。

ソースはバーガーにおける調停者だ。

彼らの存在を欠かしてバーガーは完成しない。

 

そんなソースには裏技がある。

「ソース多めで下さい」と会計時に言うと多めにソースを入れてもらえるのだ。

しかも、値段は変わらずだ。

ラーメン二郎のコールのようなものだと思っていただいて構わない。

 

僕は味濃いスキーなのでソース多めともちろん言う。

 

そんなソース多めのチクやんはどうなるか?

宇宙だ、インフィニットジャスティスだ。

(組織の寝返りを繰り返したアスランの機体がインフィニットジャスティスってのはまじで皮肉だと思う、

お前の正義はそんなに簡単に覆るのか、無限に裏切れるからインフィニットなのか) 

 

口の中にほんのりと広がる脂の旨みとスパイシーかつ肉を噛み締めてると感じさせるチキン。

 

シャキシャキと躍るように食感と清涼感を生み出すレタス。

 

そして、それらを合致させながら添い遂げさせる神父のようなたっぷりソース。

 

マヨネーズ、ナゲット、バーガーなんて誰もが好きだ。

それらが全て調和する瞬間、なんて平和で美しい瞬間なんだ。

素晴らしい調和だ、これこそ平和だ。

 

これが110円で手に入るなんて狂ってる。

2枚の硬貨で我々はこの平和を手に入れることが出来る。

チクやん万歳、お前こそが平和だ。

そして、腹に調停と平和をくれる。

それほどにしっかりとボリューミーなのだ。

 

素晴らしい。

 

これほどまでに素晴らしい食べ物があっていいのか。

 

言い過ぎなどではなく、チクやんは本当に素晴らしいのだ。

この現代日本に於ける至宝だ。

 

この記事を読んで少しでもチクやんが食べたくなった方が居れば、是非ソース多めで食べて欲しい。

その調停と平和を感じながら空腹を満たして欲しい。

 

以上、僕からは以上だ。

明日の皆さんの昼飯がチクやん(チキンクリスプ)であることを祈る。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます、ではまた。

 

深く(浅く)潜る話

 

Twitterをしばらく距離を取ろうとおもった。

宣言するほどでもない。

色々と疲れたし面倒だし、

自分自身が元々ネット隠キャだったのがそれまで以上にネットイキリクソ陰キャになりすぎてる気がするので深く潜ろうと思う。

(深くってもそんな深くない、ってかそこまで深く潜れるほどの人間としての深みを持ち合わせてないからネットイキリクソ隠キャになるこたはない)

 

なので、自分の中で抑えれなくなった言葉はこっちに書こうと思います。

 

長い文章を書く癖や添削の練習にもなるだろうしこれはこれでよい。

 

まぁ、遊びたい人と遊べないのにその遊びたい人の言葉を見て、「遊びてぇ…!」ってフラストレーション貯まるのがいよいよしんどくなってきたってのとネットイキリクソ隠キャ共が増えてきてうるせぇし反面教師になってきたんでしばらく離れようってな魂胆です。

 

中、高生のオナ禁みたいなもんですぐに解き放たれると思うのでテキトーにやってこうと思うす。

 

書いた記事の告知のツイートは変わらずやろうと思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます、ではまた。

弟の話

 

今年の二月、弟が実家に帰る。

長年付き合っている彼女といよいよ結婚する為らしい。

今の住んでいるマンションの二年目の契約更新の後や、就職の際には聞いていたことだ。

僕は今住んでる地域に残る。

奴と同居し始めて6年、ついに別れが来る。

 

「兄弟で同居出来るなんて仲良いね」なんてよく言われる。

「そうですね、いい方だと思います。」

と笑って応えれる。

そりゃそうだ、お互い思春期になっても

うちの家は子供部屋が一つしかなくて喧嘩しても横並びの布団で寝なくちゃいけなかった。

そうじゃなきゃ、襖を隔てただけの仏間で寝るしかなかった。

なので、なんとなく怒りを忘れて遊んで笑った後に謝ったり、なんとなく仲直りしなきゃいけない気持ちに駆られて謝ったり。

日を越すような喧嘩なんてしたことが兄弟になって20うん年あるけど一度もない。

 

仲良いというか、悪くなる理由がさほどないといった感じだ。

そんな兄弟だし、親が忙しくて2人で留守番することも多かった。

 

6年に渡る二人暮らしは留守番の延長みたいな感じでとても楽しかった。

寂しいかどうかで言われたら素直に言える。

 

奴が近くに居なくなるのは寂しい。

 

考え方も趣味もまるで対極的で。

奴が太陽なら、僕は深海って感じで。

それでも、どっか似通ってて、悪ノリの夜更かしや、早起きして出かけたり、兄弟というか親友って感じだった。

 

実家住みの高校生と一人暮らしの大学生で会わなかった期間があったがその分の時間を取り戻すかのように六年間たくさん話した。

バカな話も、家族に対する考え方も、たくさん、たくさん話した。

話した上で、合わない部分は合わないし、そのズレも別々の家に住むと大きくなることは確実だ。

でも、何があっても大きな喧嘩はなく、困ったら話し合えると思う。

奴は太陽だし、きっと奴の人生はその太陽らしい人生を歩んで行くと思う。

 

完敗宣言ってわけでもない。

僕だって楽しく充実した日々を歩んでいきたいと思う。

そして何より、兄弟に勝ち負けも優劣もない。

何か兄弟を比較したがる人が多いけど僕はそう思う。

 

冷たい言い方をするなら、同じ家に生まれて20うん年一緒に暮らしただけの関係だ。

 

熱い言い方をするなら、兄弟は1人ではなれない。

1人じゃ夜中のマックも味気ない。

1人じゃ喧嘩も出来ない。

1人じゃ兄にも、弟にもなれない。

兄だからこそ、得したことがあって、

兄だからこその、苦しみもあって、

それを丸々ひっくるめて僕だ。

奴なしだと僕の人生は途端に多くの彩りを失うだろう。

それほどまでに鮮烈だけど、誰よりも心優しい弟だ。

そんな奴が弟で僕は幸せだと思う。

兄弟だったからこそ良かったところはあっても

1人でよかったことなんて僕にはそんなにない。

 

同居や近所に住むことなんてこの先の人生で限りなくないだろう。

だからこそ、残り3ヶ月、少しでも恩返しじゃないが楽しい思い出を奴に残せたらと思う。

頼りなくて、情けなくて、鈍臭い僕だけど

奴の楽しい兄弟で、暮らしてて楽しい兄弟だったなと思ってもらえたら嬉しい。

そう強く思う。

 

近頃、引越しに向けて色々荷造りをしてたので少しセンチになって書きました 笑

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ではまた。

 

 

“ぼく”の世界に花束を

 

まず、はじめに

 

予告だけしてて書けてない記事がたくさんで申し訳ないです。

ボヘライブの記事はやっぱ楽しい、嬉しいみたいな明るい気持ちで書きたいけど、楽しいとか嬉しいにギアが入りにくい日々が続いてて…

ワーッと書いたあらすじみたいなのを書き起こす感じなんですが、そこの表現がハイじゃないと面白いレポにならんなと…

あんなキラメいたライブをボリュームダウンさせるような記事は書きたくないなと…

何ヶ月も経ってごめんなさい…

必ず、今年中には書き上げます…

 

ここから今日の話題です。

 

ここ一年なんともならないことがたくさんあって足踏みをしたり、考え事をしてる時間がすごく長い。

最近は考えることにも疲れてきてしまってた。

なんとか脳を動かさなくちゃいけないと本を読んだりしてたら、だんだん脳が麻痺してきて、楽しいとか面白いの前に薄モヤのようなフィルターがかかるようになった。

そのモヤを取ろうとはしてみるけどなかなか難しいもので、そのモヤは取れてくれない。

人と居る時や話してる時にはわりとそれが取れている気がする。

ある種のステイホーム病がたぶん続いてるんだと思う。

音楽を聴いて気持ちよくなっていても、ライブみたいって欲がチラついて素直に楽しめなかったりする。

新しい生活様式なんて言ってるけど変わることを強いられたと思う部分も正直ある。

 

結局、何が言いたいのか?というと

 

「コロナや社会の声には逆らえず呑まれてしまう恐ろしさ」がほとほと身に沁み過ぎたなと思う日々を過ごしているということ。

 

これに尽きる。

 

「我慢しろ」「アレやれコレやれ」は多いくせに

「対価」や報酬はまったくない

まぁ、パンデミックに関してはなくて当たり前なんだけども、社会的な還元要素、将来の自分達への還元はない気がしてしまう。

社会人って言うのは社会の奴隷として生きろ

と言われているような気がしてならない。

これは幼稚な、子供な意見だと思う部分もあるけど

「対価もないのに指示に従え」

はその子供な考えより都合がよすぎないか?とも思う。

 

社会とかって言葉を考えるとアレルギーみたくこうなってしまう自分もダメだ、愚痴っぽくなってごめんなさい。

 

でもまぁ、生活に関してはなんともいかないなりに日々の中で生活を工夫する楽しさを見つけたり、頭の中を整理する為に言葉をTwitterにワーッと流すのは楽しいなと思えるので、それなりに暮らしていきたいなと思ってます。

 

飯食うのが楽しみであれる限りは生きれるし、

まだまだ会いたい人、やりたい事や見たいものもあるしね。

死にたいも消えたいもないことはないけど

まだもっとキツい時に取っておいてやるよって感じですね。

 

髭のきみの世界に花束を

じゃないけど

もう色々とよくなることは

自力要素を除くとほぼほぼ、願い事に等しいなとさえ思う。

願い事をするだけの労力はもちろん払うけどね。

 

少しずつ周りの景色が冬から春に変わるように暖かく彩られるように願いながら

日々を生きてやろうと思います。

 

愚痴っぽい記事で申し訳ないです。

今日はここまでです、ありがとうございました。

the pillowsが好きで仕方なくて惹かれ続ける理由を論文のような真面目くさった文調で解釈してみた。

 


「Life is desire, not meaning」

〜人生はすべて願望だ。意味じゃない。〜


大好きな山中さわおさんの好きなチャップリンの言葉だ。

だが、この言葉はこれで全文じゃない。

後にはこう続く

「バラはバラになろうと望んでいる。

岩は岩になろうと望んでいる。

宇宙にある力が地球を動かし、木を育てる。

君の中にある力と同じだ。

その力を使う勇気と意思を持つのだ。」


この言葉の言い方を引用するならば

the pillowsは「ロックンロールスターになろうとした少年のロックンロールバンド」だ。

常にロックスターであることを体現し続けるさわおさんの情熱と信条の結晶がthe pillowsなのだと思う。

だが、さわおさんはただのロックンロールスターではない、ロックンロール少年のままのロックンロールスターなのだと僕は強く思う。


「あの日のロックンロールの引力は万能で

 道無き道を切り拓いていくんだ」

the pillowsの曲の一つ「About A Rock ’n’ Roll Band」でもこう歌っていた。


ロックンロールに魅せられた少年がロックンロールバンドを体現し、多くの人を惹きつけてやまないロックンロールを演奏する。

ロックンロールが生まれてから何度も何度も繰り返されてきた悲劇であり、喜劇だ。


僕やバスターズの皆さんがthe pillowsに惹かれ、恋い焦がれるのはこの悲劇な面のエピソードも喜劇の面のエピソードもたくさん兼ね備えた最高のロックンロールバンドだからだと僕は思う。

(なお、具体的なエピソードは浅学な僕の文章でなく、the pillowsの自伝本、「ハイブリッド・レインボウ」や雑誌、インターネット記事のインタビューで直接、さわおさんが語られているのでそちらを拝見していただきたい。)

 


少し脱線したが、the pillowsがバスターズを惹きつけてやまないのは

ただ、そのエピソードやバンドの歴史が笑ったり、泣けるからだけじゃなく3つの強い個性を持っているからだと僕は思う。

それは


・「意地、誇りを貫き通すことの難しさ、その不器用さ」

・「人に認められたいという思い」

・「あくなきロックンロールへの愛」

である。

 


 一つ目の「意地、誇りを貫き通すことの難しさ、その不器用さ」に関しては

レーベルに反対されても作りたい楽曲を作ったこと、世間からの評価が思ったように得られなかったことなど、エピソードにこと欠かさない。

スターというよりは一種の職人気質であるとも僕は思う。

その職人気質は多種多様な楽曲、それぞれの上質なクオリティに非常に強く表れている。

 


 二つ目の

「人に認められたいという思い」は

ロックンロールスターに憧れた山中さわお少年が思っていた願望のまま、ロックンロールバンドを結成し、ずっとそれを持ちながら、活動し続けている様を見たり、インタビューなどに多く書かれている。

承認欲求は悪いことのように捉えられがちだが、悪いことじゃなく、むしろ、それを芸術に昇華したり、楽曲、パフォーマンスのクオリティを上げる原動力としてさわおさんはコントロールしているように思う。

だからこそのパワフルさ、エネルギッシュさがあるのだとも僕は思う。

 


そして、何よりも三つ目に挙げた

「あくなきロックンロールへの愛」

ここに尽きる。

さわおさん、PEEちゃん、シンちゃん、それぞれのロックンロールへの愛がthe pillowsには詰まっている。

サウンド面のリスペクトはさることながら、ロックンロール自体の音楽以外の映画、ファッションなどの文化に対しても吸収したり迎合したりする特性をさわおさんは歌詞の中で多く使っている。

例を挙げるとするならば、映画のストーリーに擬えた歌を作ったり、歌詞の一部に映画の名前を引用したり、ファッションブランドの名前を引用したりといったテクニックである。

歌詞の引用は文化だけでなく、ロックンロールスターの名前やバンド名、曲名を引用する。

愛を込めるのは簡単じゃない、安易な引用と思われると批判の対象になったりすることもあるし、愛が重すぎるとそのモチーフ自体に全てを取っていかれてしまう。

ロックンロール少年なら誰しもが憧れるがとても難しい手法を山中さわおはサラッとやってのけてしまう。

そこにシビれ、憧れてしまうのだ。

また、「在り方」という点でもthe pillowsはロックンロールへの愛が溢れている。

人気絶頂のOasisの前座を「話のネタになるから」という理由だけで断ったり、

レーベルと楽曲の扱い方について対立したり、ロックンロールの反体制的なトゲのある面も持ち合わせている点だ。

ロックンロールバンドならトゲや毒のあるこういったエピソードは持っていると良いとロックンロールファンなら思わずにはいられないだろう。


ここまでクドクドと書いてきたが

纏めて言うならば、the pillowsというバンドはものすごく泥臭くて、人間臭く、愛に溢れてる。

そして、その歴史はマニア心や、青春モノ、王道ストーリーを好む人の心にすごく刺さる

山中さわおが主人公の物語のロックンロールサクセスストーリー」だからであると僕は思っている。


また、そのストーリーは、ただ輝かしいだけでなく困難、挫折を何度も何度も繰り返す点がバスターズに勇気、諦めない心をくれるのだと思う。

読者の皆様はくだらないことと思うかもしれないが、この挫折を繰り返す事柄を言葉として、記したくて、僕はこの文章において、ひとつ徹底的にこだわった点がある。

それは「ロックンロール」を「ロック」と書かなかったことだ。

ロックだけだと煌びやかで華々しいものだけになってしまうからだ。

「ロックンロール」の「ロール」は

「転がる」ことだ。

「走る」でも「歩く」でも「止まる」でもなく。

そのどれも出来ずに、やらずに、ただただ、泥や傷にまみれながらも進み続けることだ。

華々しくて泥臭い、それが「ロックンロール」

まさに、「the pillows」、「山中さわお」という人間自身の在り方としてこんなにふさわしい言葉はないと僕は思う。


ロックだけじゃ華々しいだけ、綺麗すぎる。

ロールだけじゃ泥臭すぎる。

ロックンロールはどっちもあってこその

ロックンロールで、the pillowsは、さわおさんはそれを人生を賭して体現してる。


そんな、日本屈指の最高のロックンロール少年だからこそ、ロックンロールに騙された、魅せられてしまった他の被害者達も惹きつけてやまないロックンロールバンド、ロックンロールスターなのだと僕は強く思う。

 


最後に、誰しも分かっているがthe pillowsさわおさんのストーリーも完結していないのである。

まだまだこれからも続く。

まさに、the pillows結成25周年のスローガン、NEVER ENDING STORY、そのものだ。


これまで以上の困難や華々しい舞台が

the pillowsをバスターズを待ち受けているかもしれない。

だけども

「作者も読者もページめくるだけ」

なのだ。

上記の歌詞のStroll and rollのタイトル通り

the pillowsもバスターズも転がり続けるしかない。

共に転がって、擦りむいた傷を癒してくれる、痛みに寄り添ってくれる。

そんな寄り添いながらも眩しい傷だらけの背中を、逞しくカッコいいストーリーをずっと魅せ続けてくれるから僕は、

the pillows」というバンドが大好きで仕方なくて心惹かれ続けるのだと強く思う。

これからも、道無き道を踵を鳴らしていく

その姿を追い続けたい。