健康優良不良青年

日々のこと、音楽や映画、漫画なんかの好きなものの話

感傷の緩衝

 

「考えすぎちゃう?」

「気にしすぎちゃう?」

と人からよく言われる。

大雑把で無神経のくせに、

変なとこで細かくて、気にしがちな

パラドックス人間だからだと思う。

 

たとえば、友人を集めて飯を食うとする。

幹事は僕で、友人に声をかけていかなければならない。

 

そうなると

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AとBは仲悪いから

A発信で今回は開く感じになってるで

Bは呼べんな…

 

そうなるとBはCと付き合ってるから

Cも呼べんな…

 

A、SNSにこういうの上げるから

SNSよく見てるDは呼ばれんかったら拗ねるで声かけといた方がえぇな…

 

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まるで、飲み会のメンバー決めるだけでも

カードゲームのデッキ作りくらい頭を使う。

友人同士なら、嫌いじゃないからいいが。

 

ただ、ここまで頭を使っても

ふらっとAがBを誘おうって言い出したり、

CとDが同時追加でBも追加

なんて場面がある。

 

で、ボソッと特に信用出来る友人や

飲み会のみんなフワッとしてるタイミングで

個別で

「〇〇呼んで大丈夫やったんやなー」

とか探り探りで聞いてみると

 

「大丈夫やでー、マーシー考えすぎやって 笑」

と言われる。

 

内心、

(あーよかった、次から気にせんでえぇやん、仲えぇことはえぇことやー)

 

と寺の坊さんのようにホッとする気持ちと

 

(頭の中でコネくり回した時間なんやってん!

早よ言えや!!!)

 

と、ハルクの如く体を膨らませて

脳内のちゃぶ台をひっくり返し、ビール瓶を流し込むように飲む、山賊の大将のような男が現れる。

 

考えすぎ、気にしすぎ。

 

その言葉の弾丸に撃たれるたびに僕は表面上、取り繕ってヘラヘラと

「そうなんですかねー」とか「そうかぁ〜」とか相槌を打って、内心はもんどりうっていた。

 

だが、最近はその「考えすぎ、気にしすぎ」の弾丸が

自分も、ふと使ってしまいそうになる場面が増えたように感じていた。

 

多いのは人から相談を受けた時である。

 

相談事や愚痴を聞く際に、僕は

相手の心情を出来るだけ自分に重ね合わせ、

その人の負ったダメージや、言いたいことを

出来るだけ咀嚼し、相手にクリティカルな言葉を返せるように努める。

というやり方を取ってきた。

 

骨折した骨が再び繋がるとより太く強くなるように、心もそうなんじゃないかと思う。

 

生来の出来の悪さで骨折を繰り返した

最近の僕の心は図太くなりやがってるので、

人と重ね合わせるのが難しい。

 

そして、最近嫌なことに大抵の相談事や愚痴は

クリティカルな言葉の返球を求めてるんじゃなくて、

愚痴を聞いてくれる「穴」を探してるのだと思ってしまった。

まるで、童話の「王様の耳はロバの耳」に出てくる、理髪師が我慢出来ずに秘密をもらしてしまったあの「穴」のような。

 

さらに、相手の気持ちをトレースする方法で

愚痴や相談事を聞いてるとそれが自分のされたことのように、

そして、自分がされた以上に腹が立ったりイラついたりすることが多くあった。

 

それで、話してきた相手は憤慨してる僕を見て逆に冷静になる

みたいな場面もあった。

 

こう書いてみると

気にしすぎ

考えすぎ

だったんではないかと自分でも思う。

(その時の自分にこの言葉を使うと血で血を洗うような決闘沙汰になると思うが)

 

 少し脱線したが、相談事、愚痴なんかは、人と交流してると嫌でも湧いてくるので適切な距離を取って、扱えるように、心が骨折してくれたおかげでなったのかもしれない。

 

一概に良いこととは自分では思えない。

優しさ、親身さで言ったら、多分以前の方が正しいと思う部分もあるし、

本当にその人の為になるのは、以前の状態だったと両手を挙げて言うことも出来ないからだ。

 

もう少し経験やダメージを負えば、

「穴」になるだけでなく

うまく相手の形に合わせた言葉や、うまく前に進めるクリティカルな一言を言えるようになって本当にその人の為になれるのかもしれない。

 

だがらといって、無理に心を折りに行くような真似はしないし、相手に無理なクリティカル返球をしようとも今は思わない。

 

それに心を折りに行こうしてなくても、

これからも理不尽にベキベキにへし折られていくことだろうと思う。

この骨折には牛乳よりも健やかな食事と風呂が効く。

そんな風に思う。

 

 

 

そんでまぁ、つらつらと書いてきたが、

ここまで書いて自分で思うのだ。

結局、お前は

考えすぎ、気にしすぎ、書きすぎだ。 と。

 

今日はここまでです。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃればありがたいです。

ではまた。